カークの政治プロジェクトの標的となる人々にとって、彼をリベラルな議論の英雄としてのみ覚えておくことは侮辱的であるが、おそらく彼の政治プロジェクト全体を破棄し、その形式だけを覚えているのがより侮辱的な人物はカーク自身だけであるということに慰めを感じている